他人の不幸は蜜の味。
昔から言われている言葉ですが、なぜ人は他人の不幸を見ると安心するのか。
「隣の人が旦那と喧嘩して離婚騒動になってるらしいよ…」
「あの人リストラされたんだって。かわいそうねぇ…」
こんなことを思ったことは無いだろうか。
今回はそんな人間心理について少しだけ考えてみた。
他人の不幸を見て安心する心理

人は他人の不幸を見ると自分だけが苦しいのでは無いと安心するのだ。
他人との分かりやすい比較で自分の立ち位置を確認する。
そうすることで優越感を得て、劣等感から目を逸らしているのだ。
人は無意識に他人と自分とを比べている。

SNSで他人の生活が垣間見えることで、自分より楽しい生活を送っている人を羨ましく思うだろう。
毎日同じ日の繰り返しで生活を切り詰めているのに、あの人はなぜそんなに豊かな生活なのか。
それは単純に「見えている」からだろう。楽しそうに見えている裏で命懸けで生きているのかもしれない。
毎日命懸けで生きている人はなにしても面白い。ギリギリの瀬戸際で顔を真っ赤にしながら必死で何かをやっている人はこちらまで血圧が上がってくる。
それに対して、詐欺にあった、不幸な出来事が起こったということに対しては安心感を得るかもしれない。
自分は「そうじゃなくて良かった」と思えるのかも。
SNSはそうした一時的な満足感を与えてくれるものなのだ。
他人の不幸は自分の幸福を証明してくれるのか

SNSで誰かと比べて得る幸福は長続きしない。誰かと比べて得られる幸せは単なる幻覚でしか無いのだ。
「あの人よりはいい生活を送っているから大丈夫だろう。」とか、他人の軸でしか自分の幸せを感じることができないのは危険だ。
他人の状況で自分の価値は決まらない。自分の価値は自分で決めるものなのである。
自分の弱さを否定する必要はない

人間誰しも生きていく上で得意なことや、不得手なことはあると思う。
「自分は掃除や片付けができないからダメなんだ…。」とか、「あの人みたいに綺麗になれないから自分はブサイクなんだ…」
とか、どうでもいい。
誰にでもある感情だから、気にすることは無い。
嫉妬も優越感も全てみんな感じる生き物。
だけど、認めることと行動に移すことはかなりハードルがある。
他人と比較する人生より自分の人生を生きる

まずは今まで感じている基準は誰から受け取ったものなのか、整理してみよう。
おしゃれしたいのは自分がやりたいからなのか?それともオシャレになって優越感を得たいからなのか?
自分を最適化する方法はなにか?何をしたら自分は満足するのか?
考えてみる時間を取るのもいいと思う。ノートを用意して、やりたいことを思いっきり書いてみてもいいかもしれない。
他人の不幸を喜ぶ時間を、自分の成長に使おう。
他人を羨む時間を自分のやりたいことを見つける時間にしてしまおう。
終わりに

他人の不幸を見て安心するのは自分の弱さなのかもしれない。
でも、その感情を否定することは無い。認めるということだ。
大切なのは、他人との比較によって自分の幸福を測るのではなく
自分の生きる道を見つけることだと思う。
他人と比べている暇があったら筋トレ!勉強!プロテイン!