今ある身の回りのものが全て誰かの意思でできていると感じることはあるだろうか。
例えば一番身近なものはあなたの今日帰る場所だ。
その場所はあなたの意思が一番強く反映されている。
ちょっとだけ深掘ってみよう。
見えないものとは何か

見えないものというのは私たち人間が思考し創造したものである。
形而上(けいじじょう)と、呼ぶこともある。
形のないもの。心、精神、愛、正義、魂、概念、理性の思惟による存在。
ということらしい。
見え無いものが先にある

自分が今住んでいる建物や地域、職場は必ず誰かが何かのために想いをつのらせ、設計したものである。
わたしが今住んでいる場所は中古で買ったのだが、誰かが建売で売っていたのを買い、また再度売りに出した時にわたしが買ったらしい。
大袈裟でもなく、全てのものは誰かが何かを成し遂げたくて、誰かの想いがあるからこそ出来ている。
今住んでいる家も、地域も、道路も公共施設もそうだ。
これに気がついたのは自分の部屋を徹底して掃除した時だった。
自分の部屋は今の自分自身を映す鏡である

もしあなたに部屋がなかったとしたら住んでいる家でもいい。その家や部屋はあなたを映す鏡なのだ。
もし今の部屋の状態が綺麗で整っているならあなたはある程度整っているのかもしれない。
もし整っていないのなら頭の中はぐちゃぐちゃで何をしていいのかわからない状態なのかもしれない。
最後に「かもしれない」と濁したのは必ずしも綺麗なことが整っているというわけでもないからだ。
綺麗だったとしても、親の教育で子供の時から綺麗じゃないと認められないという強迫観念が強い場合。
親の刷り込みによって綺麗が形作られているだけかもしれない。
健康的な思考から生まれる部屋

ただ綺麗なだけ。それは健康的な整っている状態とは言えないだろう。
だからこそ、自分の部屋は自分を映す鏡なのである。自分の軸や芯の部分で考えた結果綺麗になっているのであれば、健康的だとは思うが、それが誰かの意思によって動かされているのなら、健康的だとは言えないのかもしれない。
結果的に綺麗であれば十分、というのはなかなか暴力的だと私は思う。
自分の軸があり、今はこの道具は使っていないな、とか、一つ一つの道具やモノと向き合うと自然と「コト」について向き合う事になる。
モノの所有の意味を考えることで自分はどういった生き方をしたいのかまで見えてくると、健康とはどのような状態なのかが自然と見えてくるはずだ。
見えない世界をどうしたら綺麗にできるのか

ということで長々と書いてみたけれど、見えない世界をどうしたら綺麗にできるのか、どうやったらいいのか答えを教えて欲しいと思うかもしれない。
でもこれには時間もかかるし、経験も必要になってくる。
私が思うのは、「そうじ」は「技術」であるということだ。
美容師のカットもハサミをもてば一般の人でも少し理解すればある程度は切れるはずだ。
包丁を持って台所に立てば誰だって野菜や食材を切れるのと同じことだと思う。
だけど、細かいことを言えばキリがないが、ハサミの入れ方や、特殊なカットの方法、色々な方法を組み合わせてその人の状態に合わせて「今」最適な状態にしてあげることが技術なのである。
だから意外と美容室に行って、「髪を10センチ切ったらどうなりますか?」と言われることが多くあるのだけれど、私には「短くなりますね」と答えることしかできないのである。(笑)
私は髪を切っているのではなく、お客様の生活の一部を良くするためにカットやその他の技術を使って生活や習慣を提案しているのである。
「そうじ」も同じで、綺麗にすることは誰にでもできるけど、頭の中を洗い出したり、自分がやっていることに対して目の前のモノを使用しているのかを判断することは技術なのである。
一朝一夕にできるものではないのだ。解決策は本を読むこと。
人生の羅針盤を手に入れる方法

今は情報過多の時代だからこそ、自分の身の回りを整理して「そうじ」をすることが大切だと切に思う。
そのためには「言葉」に出会うのが一つの近道かもしれない。
「言葉」に出会ったら「実行」してみるのがいいだろう。
おすすめはこちらの本だ。
この本はそうじをしろとは一切書いていないが、なぜかそうじをしたくなる本だ。たまに私も買って読み返すことがある。
終わりに

見えている世界は見えない世界が支配していることがなんとなくわかったように感じるだろうか。
現実の今生きている世界で悩みや苦悩、不満や、もっとこうだったらいいのになと思っているのであればこの本を読んでみてほしい。
面白くて一気に読み進めたくなる一冊なのでおすすめだ。